読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おっ、ほん!!読書ぶろぐ

読書ブログです。小説から学術本まで幅広く読んでいきます!!

読書ブログの歩き方!~『読書テンプレート』を作る!?

世の中には、数えきれないほど「読書ブログ」が存在します。

このブログも恥ずかしながらそのうちの一つです。

しかし、そのたくさんあるものの中でも有名なのはごく一部しかありません。

ほとんどのブログが凡俗なまま誰の目にも触れずに消えていく悲しい運命です。

 

そこで今回私は、このブログを多くの先人たちと同じ末路をたどる訳にはいけないと、ここは一つある戦略を慎重に組み立て、このアイドル戦国時代ならぬ『読書ブログ戦国時代』を生き抜く手段を模索しました。

 

この記事は、有名な読書ブログを参考にして作った、私がこれから守っていくべきテンプレート(決まりごと)です。

 

すでに読書ブログをしている先輩方にも、少しでもお役にたててくだされば幸いです。

○目次○

読書ブログのテンプレートを作ろう

読書ブログに必要なものは5つ!

どんな物事にも約束事があるわけで、この「読書ブログ」にもあります。

 まずは読書ブログになくてはならないものとして箇条書きにしますと

  • 本のタイトル
  • 作者
  • ジャンル
  • あらすじ
  • 感想

の5つです。

こんなことすでに知っているよ、と怒られそうですが、絶対必要なものとしてこの5つは外せませんね。

中には「あらすじ」や「感想」すらも必要ないという方もいますけど、紹介する上では責任もってどういう本かは明らかにしなくてはいけないと思います。

実際本を読む前に中身を知ることは難しいですし、時には「タイトル詐欺」ともいうべき、「タイトル」で投げかけた問題に答えているのが1ページにも満たないといった酷い本(?)もあります。

読んだ証として、そしてブログの読者に対する礼儀として、自分なりでいいのでちょっとした「あらすじ」や「感想」はつけなければなりません。

 

しかしひどい読書ブログの中には、どこかに載ってある(Amazon等)ような「あらすじ」を切って張り付けたり、読んでいなくてもわかるような薄っぺらい「感想」を付けて読みました、としたようなたちが悪いものも存在します。

 

アフェリエイトのためだけに買って欲しいからと、嘘をついてまで誰かに本を紹介しても意味がありませんし、双方時間の無駄にしかなりません。

せっかく訪れてくださったブログの読者さまにも、まずは良い記事を心掛け、しっかりと読んだ上で紹介したいと思います。

これは長期的な信頼のためにもどうしても守らなければいけないことです。

 

ブログ独自として必要なもの

上記の5つは、基本どんな読書ブログにも存在します。

であるなら、ありふれた中で生き残るために私がしなくてはならないことはここからさらに先にあります。

 

それは、「ブログ独自の試み」をすること。いわゆる個性の部分ですね。

やることはとても簡単で、口調を含め文章や文体でもいいですし、紹介する本のジャンルにしてもいいです。

 

一番いけないのが、色々なことに手を出して、本も読むし映画も読む、または日記も書くなど、一つのことに特化できずに自分でも何のブログかわからなくなることです。

 

ここで私が「おっ、ほん!!」で独自にやりたいと思うことはこの4つです。

 

  • ターゲットを絞る(ジャンルを設定する)
  • この本を選んだ動機つけをする
  • どういう人に読んでもらいたいかを明らかにする
  • 何のために役に立つのか

 

とはいっても、一つ一つは色々なサイトでしている簡単なことですので独自というのも大げさですね…笑

 

「新刊」や「ベストセラー本」よりも「古典」を狙え!

順番にいきますが、このブログでのターゲットは理系の人です。

 

自ずと紹介する本も理系よりで、小説でしたら「SF小説」や「ミステリー小説」が多くを占め、学術書でしたら「論理学」や「哲学」といった具合に、隠そうとしてもどうしても傾向が出てしまいます。

 

そしてジャンルを設定するに補足ですが、多くの「読書ブログ」が紹介する本の殆どが、どこかで見たことあるような本ばかりなのは気のせいではないでしょう。

 

Kindleでセールがあれば、皆が前にならえをするかのように、その本の特集記事が量産されたり、多くの人が読んだことのある流行りの「ベストセラー」ばかりを取り上げた面白みのない読書ブログにはもう飽き飽きです。

「読書ブログ」に限らずとも、職業として「批評家」と呼ばれる人たちがいますが、彼らも多くが宣伝目的のために「新刊」ばかりを取り上げていて多様性があまり感じられません。

 

本という媒体は長い時代で熟成していて、充分な量は既に溜まっています。

であるなら皆の真似をして、これから出てくる「新刊」や「流行りのベストセラー」にとらわれるよりかは、長い歴史の中でも今なお輝き続ける「古典」を紹介していったほうがよいという結果にたどり着きました。

つまりは、時代に生き残っている「古典」にこそ本当に大事なことが詰まっているはずですし、これから出るであろう「新刊」ですら、いかに「古典」の焼き直し継ぎはぎだらけであるかがわかります。

そう新しいことは易々と出ないというものです。

 

次に本を読む動機についてですが、これはなぜ私がこの本を選んだかということです。

どういう人に読んでもらいたいのか、それが何の役に立つのかとも繋がっています。

 

多くの理由として「タイトル」や「好きな作者」に惹かれた、または誰か知人に紹介されたなど実に様々あります。

しかしこれらの理由が例えありがちだとしても、情報として記事に入れていたほうが読む人にも共感しやすいと思われます。沢山ある本の中でも、なぜわざわざこの本を選んだのかはとても大事なことです。

これは、「新刊」や「ベストセラー」からしか選べないブログたちよりかは、無限の本の中からこの1冊こそを選ぶことのできる私のようなブログのほうが、選んだ理由もより魅力的に見えます。

 

手段としての読書はダメなのか?

最後に一番大事なことです。本を読むと何の役に立つの?という話し。

どんな本もただ読んで終わりではありません。読むにはまず動機があり、その先この知識をどう生かすかが存在するはずです。

例えば、コンピューター関係の本を読む人はきっと職業や趣味でその関係のことをしている(しようとしている)でしょうし、自己啓発本を読む人には社会で何かその得た知識を役立てようとしたチャンスをうかがっているはずです。

これは目的がある上で、本を手段として読んでいる行為です。ダメなことでも全然なく、努力として素晴らしい行為です。

しかし、同じ書籍でも小説といった文学にはあてはまらないことかもしれません。なぜなら小説は読み方が決まっていませんからね。

世の中には映画やゲーム、スポーツ、そして読書というように多数の娯楽であふれています。読書はしょせん娯楽の一つでしかないわけです。

映画ではなく読書だからこそいいんだ、なんて古臭い考えで笑ってしまいますが、私の周りにいる読書をする人の中には、大真面目に今でもそういうことを語っている輩もいることは事実です。

高尚な読書体験も確かにあるかもしれませんが、今の私にはまだそれがなにかわかっていません。

 

話を戻しますと、どんな本でも役に立てようとすれば必ずためになることはあります。

学術書は実直にためになりますし、小説でも生き方など参考になる部分は多いです。

 

しかし同じ書籍だからと何か役に立てるための読み方(血眼で読む)をしてしまうと小説の娯楽とする部分が失われてしまうと思うんです。

 

だから無駄にしないためにも、小説はまずは娯楽として読む、それから役に立てる手段として読む、といった1冊で2度美味しい読み方ができるのです。

 

 

まとめ

まとめますが、この記事を書いたのははっきりいって自分のためです。

前のブログの時でも毎回この記事を書いています。

これから頑張って続けるぞ、という宣言みたいなものです。

 

後半よくわからないことを書いていますが、これは途中で力ついた証拠です。

これでやっと本を紹介する記事が書けそうです。

 

1冊目は理系ということもあり、「妖怪」の本を紹介したいと思います。笑

冗談かと思うかもしれませんが、実は理系と妖怪には繋がりが存在するのでした…。

 

それではまたこんど。