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「オカルト」の嘘を「科学」で暴け!「怪しいもの」のメカニズム公開!~『超常現象のつくり方』

超常現象のつくり方

超常現象のつくり方

 質問です! 

あなたは超常現象(オカルト)に対して否定派ですか?肯定派ですか?それともどうでもいい派ですか?もしくはどちらでもいい派?

 

 こう聞かれると、ほとんどの人がどうでもいい派だと答えます。

ここで肯定や否定をしたあなたは、心の中では確実にオカルトに興味があります。

よく言うでしょ。好きの反対は嫌いじゃなくて、興味がないんだって。

 

 そうはいっても日常生活の中では、ほとんどの人がオカルトを特に意識することがなく興味すら持たない、とうか、考える機会与えられないのです。勿論私も聞かれれば同じように「興味がない」と答えます。これが周囲と軋轢を生まないためにも一番無難ですからね。

 

 

○目次○

  1. UMA
  2. UFO・宇宙人
  3. 幽霊
  4. 超能力・霊能力
  5. 怪奇現象
  6. 都市伝説・伝承

 

 この質問に対し自信満々に否定(いないと思うが肯定派もいれば)した自信満々なオカルト大好きさん(笑)に対して、関わりあいになることについて少し気を付けないといけません。

 

「(否定派)オカルトなんて絶対ありえないよ」といっている人ほど、日頃からオカルトを意識していますし、それを理由に相手と対立するのが大好きだからです。

 

 もしもその否定派さんに、悲劇にも肯定派さんが出会ってしまうとさあ大変。どちらもむきになって相手を負かすことだけにこだわり、最終的には誹謗中傷もしくは喧嘩になってしまうでしょう。

 

 

 では、最後に残った『どちらでもいい派』。これはどうなんでしょう?

 私はこう答えた人こそ、真のオカルト好きだと思っています。

 

これは今回の本『超常現象のつくり方』の中で何度も語られていますが、「オカルト」に関わりあう上で

 

 1つ目は、「動画」や「写真」を鑑賞して、オカルト「肯定派」一辺倒として怖がる番組。もしくは、歴史で起きた都市伝説や陰謀を暴くといった体の「否定派」番組。

 

 2つ目は、討論とした体で勝負もつかないプロレスを見て笑う番組。

 

 

 ここで結論ですが、私たちがオカルトに対して関わる際、守るべき立ち位置があります。

 それは、「真偽どちらにも関わらず、ただ楽しむことだけにこだわる

 これだけでいいと思います。

 

 大事なのは「真偽どちらでもいいという、あくまで中立派に従事すること。」

 

注意ですが「どうでもいい」と「どちらでもいい」は全く違いますよ。

前者はオカルトに興味がありませんが、後者は興味がある上どちらにもなることができます。

 

 生物で例えるとみると「なめくじ」でしょうか。

f:id:sekaiokaere:20170803141455p:plainこれは「かたつむり」です。笑

経験則上、オカルト好きは生息数が少なく出会うことも稀です。

 生き物「なめくじ」は知ってのとおり、動くのがとても遅く自分の子孫を残そうとしても、相手に出会うのもまた同じように稀です。だからか特徴としてオスとメスどちらにもなれるというのです。

 そんな数少ない「オカルト」好きにあった時、私は彼とは意見が違うから話したくない、ではすごくもったいないことなのです。

 

 私も内心はオカルトを大好きな、UMAや宇宙人にもぜひいてほしい「肯定派」です。

しかし、願わくばいてほしくない「否定派」でもあるという、二面性を持ち合わせているのです。

 なぜなら、そういうオカルトな存在は、大多数に観測されてしまうと、たちまちその神秘性(魅力)が失われてしまい、一般的な存在にまで貶められてしまうからです。

 だけども自身の目で見ない以上、第三者の目を通した話を聞くとどうもそれが胡散臭く感じられて素直には信じられません。

 

 ここは実にもどかしいところでありますが、真のオカルト好きはこの不条理な儚さ(矛盾)に惹かれていると、著者は本の中でいっていて、うまく合点いきました。

  著者・山口敏太郎さんのファーストコンタクト

 さて、そんなわけで今回紹介するのはこの本『超常現象のつくり方』です。

タイトルからもわかる通り、いわゆるオカルトものです。

 「オカルト」に興味がない人はまず手にしない本ですよねww

 

f:id:sekaiokaere:20170806181101p:plain

引用元:

山口敏太郎 (@bintarou) | Twitter

 

 著者・山口敏太郎(びんたろう)さんのことは、人気テレビ番組「マツコの知らない世界」であった「UMA(UFO、心霊)ビジネスの世界」でお見かけして以来、常に気になっていました。たった30分ぐらいの番組の中で話していたことにえらく驚いたからで、いっちゃえばファンになってしまったんです。

 だから今回は完全な作者買いであります。

 

 しかし、私が何をそんなに驚いたかというと、それは

 

 何度もこすられているUFO(心霊)動画や心霊写真をほぼ全て偽物であり、さらにそういう動画や写真を作ってテレビで流すことで儲けている会社がある。

 

 この一言です。ニュアンスは若干違うかもしれませんが、ここまで心霊番組の裏側をぶっちゃける人がいるんだ、もう次から番組に呼ばれなくなってしまうんじゃないかと心配になるレベルで…。

 しかし、彼はそれからも幾度かお見みかけしたので、完全な私の思い過ごしだったようで安心しました。

 

 この衝撃な事実を聞いてからの私は、「オカルト番組」に対して、どうもあの話がちらついて心から楽しめなくなってしまいました。

 大げさに聞こえますでしょうが、本当に世界の見え方・見え方までが180度変わってしまったんです。

 

これは比喩ではありません。文字通りホラー映像の幽霊がお金に見えてしまうのです。

 

 何でもない動画が、そこに「幽霊」がいるという事で一儲けできるのなら、現代の動画編集ソフトを使えば私にも簡単に作ることができますよね。はい、お金いっちょできあがり、と。

 

 ただ動画を作って視聴者を楽しむ(ませる)のは百歩譲ってまだいいのです。

ですが、どうしても許せないのが、テレビ局は視聴率を稼ぐためにも本当の話だとか大げさに前置きしておいて、その上偽物とわかっていながら制作会社に高いレンタル料を払ってそれを流す。

 

 我々はウォーリーを探せならぬ「幽霊を探せ」をして満足だろう、と馬鹿にされているのと同意なのです。

ポケット判 新ウォーリーをさがせ!

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 真のオカルト好きからみれば、あんなのは離乳食に他なりません。

幽霊登場まで「3、2、1」とカウントダウンしてもらい、身構えた瞬間に、日本人としての幽霊像としてもわかりやすい、白装束の貞子っぽいお化けが出る、なんて馬鹿にしています。

 

 ここで怒ってしまっては二流です。大事なのはそれすらも楽しむこと。

そう、笑ってあげましょう。

これはお約束なんだと。いつまで子供だましをお前らはしていられるかな、と。

 

  数多のホラー映画も『キャビン』を見ると、これからは全く怖くなくなる不思議

 それに近い映画も最近見ました。

 なぜでしょう。思考を巡らせているときに限って、まるで奇跡かのように、読書の補助してくれるようなものに出会ってしまうのは。

キャビン スペシャル・プライス [Blu-ray]

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『キャビン』という海外の(B級)ホラー映画。

 これはホラー映画のお約束(ありがちな展開)を逆手にとった映画して、普段からホラー映画を沢山見ている人にこそ見てほしいものです。

 

 ネタバレなのであまりいえませんが、有名なホラー映画はこの作品を見ることによりこれからは怖くなくなります。(たぶん…)

 洗脳が解けるとでもいいましょうか。

 

 例えば、ホラー映画には決まってセクシーシーンがありますよね。そのシーン中に怪物がど~ん、と出てきて私たちは出演者と一緒に驚きます。

 しかし、そのシーンを誰かが何かスイッチなものでムードを演出し、「3,2,1」と怪物が出てくるタイミングまで計っている。そんな状態に私たち観客は何を怖がる必要があるのでしょう。

 「くるぞ、くるぞ、はいきたー、わーキャー」、なんとも視聴者はこれを見るために、ホラー映画を見ているともいえますでしょう。

 

 お化けに会うために、お化け屋敷にはいるように、幽霊(オカルト)を見るためにホラー映画をみていること。

 恐怖の裏側には常にだれか仕掛け人がいるのです。

 

 言われてみれば映画なのですから、誰かが作っているのはあたりまえなのですが、私たちは映画をみる姿勢として純粋に楽しむためにも、その事実を一旦忘れています。

 

 この映画は、その姿勢を忘れることでやっと成り立っていた、これまでのホラー映画に対する挑戦状なのかもしれません。

 

 そして映画後半の展開は本当にびっくりしますよ。いや~面白すぎるww

 ここまでやるかと笑い転げます。

 

 ありがちなパターンの予定調和として、後半の展開を視聴者は自ずとわかってしまうのですが、その予想はいい意味でも裏切られます。

 

 楽しむためにも、「死霊のはらわた」や「13日の金曜日」等、ホラー映画をみておいた方がいいです。

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名作ホラー映画「キューブ」や「シャイニング」の双子の女の子、「イット」のピエロ等、知っている怪物が出てくるだけでファンは嬉しくなりますよね。

 

 あっ!、勿論「リング」の貞子か、「呪怨」の佳子っぽいのも登場しますよ。これは日本のホラー映画が好きだったからこその、最近のなんでも「ハッピーエンド」にしようとする、製作者の軽い姿勢に嫌気がさしている現れかもしれませんね。

 

 ホラー映画を見る姿勢を考えさせられる、実にいい名作映画でした。

amazon primeビデオ」にもあるので、そちらでぜひご覧どうぞ!

 

 オカルトに関わってお金を稼ぐのなら、せめて責任を取れ!

 話を戻します。  

 

 著者がオカルトに対して、嘘を暴いてやろう(是正しよう)と思い立ったのには、大きな契機があるそうです。

 それは昭和の凶悪宗教事件、『オウム真理教』の犯した数々の許されない事件でした。

 私はまだ生まれていないので、当時のことは記録でしか知ることができません。

 ただ、あんな事件を犯した彼が、当たり前のように私たち民衆の前に出ていた事実について驚きを隠せません。

 

 かつてオウム真理教の教祖『麻原彰晃』は、「おもしろ人物」としてテレビ番組に何度も出演していたり、自身が経営するお弁当屋のキャッチ―なメロディーと共に宣伝やCMソングで子どもたちを次々と虜にしたり、誠に信じられないことに政治界にまで出馬していたりと、我々の前にその姿を堂々と現していました。

 オカルト大好きビートたけしと共演しているシーンもありましたね。

 

 なぜこうまで「怪しい人物」を不審に思うことなく、彼の存在をテレビや雑誌に至る情報メディアは、面白おかしくはやしたてたのでしょうか。

 

 これは面白いこと、つまり視聴率を取るためには何でもやってしまうテレビの功罪です。

 事件を引き起こした一部分に加担したことと同意ですね。

 

 あの後、教祖を面白おかしく紹介した大部分のメディアは、ほとんどが責任をとったよう(見えるだけかも…)に廃止や休刊になったと著者はいいます。

 

 しかし、そんな数々の屍の中において、いまでだのうのうと存続している雑誌について、著者は怒りの念を語り、つぶれてほしいとも思っているようです。

 

 オカルト雑誌「ムー」のことです。

ムー 2017年8月号 [雑誌]

ムー 2017年8月号 [雑誌]

 

キャッチコピーは「世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーマガジン」。主な内容はUFO異星人超能力UMA怪奇現象超古代文明オーパーツ超科学陰謀論などのオカルト全般である。全般的にオカルトに肯定的な記述がされている。

(中略)

オウム真理教麻原彰晃が読者、およびライターとして記事を執筆した事がある。その縁でオウム真理教の取材をした事もあり、好意的な内容になっている(もっともこれは本誌に限った話ではなく、地下鉄サリン事件以前においては、各マスコミともオウム真理教については好意的、あるいは中立的な報道に努めている)。しかしムーに於いては継続して広告を掲載するクライアントだったので好意的な取材記事も数回掲載され「提灯記事」と揶揄された事も有る。長期広告掲載と好意的な記事に拠り信者を増やした事は間違い無いが、その功罪については社会及び読者に対して説明や謝罪等はしないまま現在に至っている。 (wikipediaより引用)

  

 オカルト好きなら誰しもが知っている「ムー」

 私も一度購入したことはありますが、ネタ提供に特化した情報を載せているだけで、突拍子もなくてあまり面白くなかったです。

 

 しかし、これは昔からの伝統だということでそれはそれでいいのかもしれませんが、引用した部分にも書いてある通り、「オウム真理教」に加担したことに責任をとることはなかったようです。

 

 なぜ「ムー」だけが特別だったかについて、私なりに少し考えてみました。

 

 「信じるか信じないかはあなた次第です」という便利な言葉

結論からいうと、あまり知られていないことですが、「ムー」の出版社自体は学研です。

 学研は、名前からも小学校等における教科書販売で私たちの知識に深く浸透しています。

 これは、出版社として信頼があるとも言いかえることができます。

 

 このことから、「ムー」という雑誌は、紙面上直接言っているかはわかりませんが、たとえ信じられない怪しいネタを持ってきたとしても、教科書をつくっている「学研」の出版社なのだから間違っていることは言わないだろうと、普段の売り込みでは演出しているのではないでしょうか。

 

 また、今回の「オウム真理教」を取り上げたことに対して、バッシングを食らった際は、反対に「信じるか信じないかはあなた次第」と良く聞く番組と同じうようなキャッチフレーズで、素知らぬ顔をして、「信じる人なんていないから責任取る必要もないよね」と開き直ってきたのではないでしょうか。

 

信じるか信じないかはあなた次第

これほど便利な言葉はありませんね。

昔のような、オカルトを本当のように演出する番組は、不測の事態で責任を取らされるかもしれないからと、はなから「嘘かもしれないし、本当かも知れない」と予防線を張っているのです。

 

ずるい。それじゃあなんでもいいたいほうだいじゃん。

 

私は『やりすぎ都市伝説』は好きですよ。ここまで開き直っている番組は珍しいですし、前置きとしてのリミッターがあることで子どもにも安心して見れると思いますからね。

 

でも、「ノストラダムスの大予言」や「2012年世界終末理論」には一度謝ってほしい気持ちもありますよ。

 

 外れたとしか思えないことにも、確かに変わったんだと言い続けてさえいれば、許されるのかっての。

 そりゃ地震学者が地震が来ると言えば、絶対にいつかは来るでしょうし、気象予報士が曇りと言えば、また雨が降っても怒られないことと同じトリックですよね。

 

 しかし、この「ムー」のように責任を取らない、事実ではないといけないような、「新聞社」や、噂の体で社会の裏側を暴く「週刊誌」のなんと多いことでしょうか。

 

 最近では「朝日新聞」の捏造記事で韓国との政治問題で現在にまで発展していますが、「朝日新聞」自体はそれでも普通に刊行していますし、記者が勝手にでっちあげた記事だとさも被害者のように振る舞う始末。

 

 また「東スポ」でおなじみの「東京スポーツ新聞」に至っては、新聞という体裁でありながらも「ありもしないインパクトだけを狙った記事」を書いて注目を集めることしか頭になく、数々の芸能人に対して「名誉棄損(まがいなこと)」を起こしています。

 しかし、この「新聞社」も裁判した際は、「誰も信じる人がいないのだから、名誉棄損にはあたらない」と言い切れる神経、あるいみ凄いと思える反面、吐き気をもようします。

 

 あぁ、私も一つ便利な言葉を使いますが、私の記事は全て信じるか信じないかはあなた次第ですよ。あくまでこれらは噂ですので勘違いして文句いわないでねww

 

 オカルトに反撃するために、知識をつけよう!

 著者は今回の本『超常現象のつくり方』で、これらの怪しいオカルトに対抗すべきために私たちがまずすることは知識をつけることだとしかないといいます。

 

 という訳で、「超常現象のつくり方」では2通りの「つくり方」としての知識が述べられていきます。

 

 1つは「オカルトが発生した起源として、どのようにつくられたか」として知識の「つくり方」

もう1つが、「テレビや新聞など情報を発信する人によって、悪く言えばでっちあげられた」としての「つくり方」

 

 前者は、著者「オカルト研究者」として、興味から収集した膨大な知識を元に、発生した理由を次から次に語っていきます。

 しかし、こういう切り口は知識を付ける上で見れば面白いのは面白いのですが、如何せん「だから何」というどこか「むなしい気持ち」にもなります。

 

 というのも、本書で扱う話題が多岐に至る為か、ひとつの項目に対し見開き2ページで淡々と説明しており、また証拠となるはずの画像もあまりないため、なるほどとも思えません。

 

 いうだけなら別にだれでもいえますし、同じような本は他にもかなりあります。

「信じるか信じないか…」で有名なハローバイバイの関さんのとかね。

Mr.都市伝説・関暁夫の都市伝説 6

Mr.都市伝説・関暁夫の都市伝説 6

 

 

 また宇宙人といわれても遠くの場所で起きたことだと、実感なんてありませんし、どうでもいい。

 

ここで唯一わかったのが、オカルトは一度発生して広まってしまえば、そのあといくら誰かが「私がしました」と名乗りあげても、また、いかにそれらしい理由を挙げても、まったく意味がないということです。

 

これは、オカルト肯定派と否定派の対決を見ると明らかです。

例えば「UFOがいるかいないか」と争っているとします。

肯定派は意気揚々と新聞記事や動画、写真を持ち出し「いる」と述べます。

 

反対に否定派はそれを作り話だと追及します。

 

ここからです。肯定派はその作りを認めないか、認めたうえで「でもそれは認めるけど、これは違うかもしれないよね」と断定せずに最終的には「わからないならいるかもしれない」に無理やり持っていきます。

 否定派が何を言ってきても、でも違うかもしれないと伝家の宝刀のように振り回します。

否定派がここで勝つにはどうしたらいいのでしょうか?

 

 それはすべての可能性を消すことです。途方もない戦いですよ。一つでも穴があれば肯定派はそこをついてきます。

 まるでオオカミと羊なみのパワーバランスです。オカルト肯定派がほとんど一方的に勝つオオカミで、否定派は弱弱しい逃げるだけの羊ですよ。

 

 もう今更いくら起源がなんだから間違っているといっても、それはその場合だけで他には通用しないでしょ、はい論破といった具合。

 

 そして大事なのが、オカルトは一回でも発生してしまうと、(地元に話題が欲しいのか)なぜか他の場所にもに飛び火してしまいますからね。もう初めはとか関係なくなるのです。

 

 科学は全ての現象を解明に至ることはいまだできません。

でしたら、そんな未完成な学問を盾に否定派になるにはまだかなりの勇気がいりますね。

 否定派である以上常に勉強をして最新の科学武装をしないといけないから。

 

とすれば中立派は否定派よりもさらに大変にですね。

 最新の科学を常に勉強して「オカルト」を科学的に否定する一方、その科学でも解決できないように上回る「オカルト」をも探さないといけないなんて…。

 

 例えるなら『ダブルシンク(二重思考)』ですねw

 矛盾する二つの立場におりながらも、どちらも信じている。

 詳しくはこの本を読んでね!

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

 しかし著者は中立派であるといいながらも、私(客観的)から見れば、まだまだその立場として不十分だと思います。

 

 なぜなら、本の中で幽霊の話題になった際、幽霊はいるかもしれないが、多くの幽霊談はほとんど全て脳の錯覚だと切ります。

 それ以降も脳が作る説は出てきます。

 

 しかし、それは脳という部位を見つけただけで、否定した理由にはなりえません。

 

 人間は頭で考えていることは多くの人が知っていますので、脳の中で幽霊を作っているといっていることも一見、科学的ですが脳はまだ未知数で確定していないことが多い以上、オカルトでしかないわけです。

 

 脳というなら論文のような証拠を出してもらいたいものです。

 

 可能性としては、私もその脳で考えた説を支持できますが、その曖昧な知識だけで幽霊を否定する証拠として切っていくことには、名前を出して責任を取る面でも、怖くて到底真似できません。

 著者も本という残る媒体で出す以上は、もしも間違っていた場合には責任を取る必要がでてくるのではありませんか。

 

 まぁ、科学は推測を立てることから出発するとも言いますから、それならばしっかりと「科学」について真剣に取り組む姿勢も大事だと思います。

 

 その上、間違えだったら素直に謝る、そして思考をアップデートと、私も著者のファンとして、いつまでも「中立派」でおり続けてほしい欲しいものです。

 

 もしかすると、著者はオカルトをいずれは「科学」として迎えたいのかもしれませんが、さすがに私の邪推しすぎかもしれません。

 

 ただ、現状の毒にでもなりうる「オカルト」から、子どもも楽しめる正しい「オカルト」へと昇華させたいと著者は語っていることから、「勉強」できるものにしたいのがわかりますから、あながち間違えではないかもしれません。

 

 いつか「クイズ雑学番組」のように、勉強できる学問になってもいいかもしれないですね。

 

 「科学哲学」を学び、「科学らしきもの」すらも疑う!

今回の記事はあくまで「超常現象」の話ですので、これを持ち出すのは少々お門違いなのですが、私たちの中に浸透している「疑似科学」についても少し軽く触れます。

 言葉の通りこれは「似せ科学」であり、科学とはまったく違う紛い物です。

 

 「オカルト」では扱う事柄が遠いことが多いです。

 「宇宙人」や「陰謀」など、私たちの普段の生活からは実質全然関係がないことで、信じる人もあまりいませんし、真剣に考える必要もありません。

 

 しかし、その「オカルト」が身近にも存在していたらどうでしょう。

それは一見「オカルト」見えず、「科学」の装いをしていることがあります。

 これが「疑似科学」の正体です。

 

 最近でも特にその「オカルト」が私たちに接近してきましたね。

 それは「水素水」めぐるそれらです。

 

 先に断っておきますが、全てが嘘であるとはいいません。

 

 しかし、ブームが終息した今の現状から見れば、多くの施設にあった水素水の「ウォーターサーバー」や、水素水のペットボトルなどがほとんどの売り場から消えている以上、嘘だったと自ら(水からww)認めているのかもしれませんね。

 本当にいいものであるなら、これからも長く売り続けられると思いますからね。

 

 ではなぜ、普段「オカルト」なんて丸っきり信じない人たちが、こぞってこういう「科学もどきのオカルト」に惹かれたのでしょうか?

 

 それは、私たちの社会が、「科学」という信頼関係で成り立っているからなのです。

 学校で習うことは全て正しいと信じ込まされている私たちに、いちいちと正しいのかと振り返っている時間はありませんし、学校でも人を疑うのは悪いことだと習います。

 

 他にも、「アメリカの○○大学式~」や「○○医者おすすめダイエット法」など肩書きについてもとても弱いことがわかります。

 

 私たちは「考えない」ために「考える」

といった言葉があります。

 私たちは生きていく以上、色々考えていると多くの人は思っています。

 しかし、この「考える」は言い換えれば「記憶する、あてはめる」と同意であり、一度覚えてしまえばもう「考える」ことを辞めて、ただ「あてはめる」作業に変わってしまうのです。

 

 なにげない当たり前の日常を、一呼吸おいて考えてみる。そんな余裕がある社会になってほしいものです。

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

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  また、これからも勉強していきますので、今回は「科学哲学」についてはここまでとします。

 

  「オカルト」はでっちあげられる

 この『超常現象のつくり方』ではもう1つ、なぜできたのかとともに、著者自らが経験した色々な「オカルト番組」の裏側による「つくり方」が語られます。

 

 これが著者の本領ですね。

例えば、

 著者がテレビに収録した際に、話したことの大部分がテレビ放送では大部分がカットされていること。

 それに対し、視聴者が著者に文句をいうことは知らないだけだと非難したこと。

 また発言した内容をおかしく編集され、まるでピエロあつかいされたこと。

 

 テレビに関して色々な思いを抱いています。

 

 気になったのは、著者があげる人物の名前がある時は、実際に関わったことがある人物なのかという点です。

 大阪大学の某ロボット博士は匿名であったのにかかわらず、「ムー」などは実名で否定するのはやはり一度関わったことがある証拠でしょう。

 

 「ムー」に対して廃刊してほしいと気持ちを、こうまで隠さないなんて、そこについても深く知りたかったです。「オウム真理教」以外にも何か一悶着ありそうですから。

 

 そして、「アンビリーバボー」で話題を読んだ「呪いの面」の祟りの裏側については一読推奨です。

 

 著作中では、著者の説に対して見たい画像が載ってないと思うことはありましたが、この「呪いの面」の画像はちゃんと載っていて軽く声が出ました。ヒェ!w

不意打ちを食らいました。w

 

 これについて考えてみると、散々煽った上でさらすということは、私たち読者を信頼しているのでしょう。

「中立派」としてこの本を読んだ君たちは大丈夫、素直に信じないだろう、と期待している現れです。

 

 では、これら著者の言っていることが事実であるなら、私たちは本当にテレビ局等に舐めらたものです。

  もっともらしい霊能力者もグルとなる人さえいれば「作ること」が可能ということで、これからも機会を狙って話題性作りとして、その席が空席になることがありませんから。

 

 しかし、この「でっちあげとしてのつくり方」においては、取り上げた怪しい人が「オウム真理教」の麻原彰晃と同じように、いつ宗教家と転化して悪用する危険性が大いにあります。

 

 芸能人の多くは、それにしても有名になれば、ファッションブランドの設立や飲食店を開店したりして、その有名さを利用して儲けようとしています。

 

 でしたら、また「オカルト」を利用してつくられた存在が、さらに「オカルト」を悪用しようとしても全然おかしくないことでしょ。

 

 いつか「オカルト」を利用しようとする悪い奴がでてこないためにも、「作り上げたオカルト」はそもそも無くさないといけないという訳です。

 

 著者の思いは、「健全なオカルト」の扱いとして、「パッと見ては派手なものではないかもしれませんが、何かわからない不思議なもの」について、色々な立場の人が好きなように意見を言えるものにしてほしい。

 これこそが生き残るためにも、目指すべき未来なのです。

 

 まとめ

 こんなに長い記事を書くとは正直思いませんでした。

 というのも、この本は偶然書店で見つけて購入したのですが、言っちゃ悪いですが値段が600円でしたし、見てくれもコンビニにありそうな本でした。

 

 私は、本を選ぶ基準を質(厚さ)と値段で決めている節(どちらも高い方が信頼できるw)があり、普段はこういう本を絶対読みません。(失礼ですね、すみません)

 

 ですが、幸運なことにも、この本はそんな不安をよそに著者・山口敏太郎さんの考え方に呼応するかのように、するすると色々思案できましたし、こういうのが良い読書体験ですね。

 

今回の記事に関しては、私としてもかなりの手ごたえを感じています。

これをぜひ多くの人にみてもらいたいものです。

本をだしに、自身の意見を好き勝手に述べたに違いないです。

 

あと贅沢なこと言いますが、「読書ブログ」を書くとき私はその作者に向けて書いています。

 本は唯一作者との個人レッスンとでもいいますが、ぜひ山口さんにもこの記事を読んでもらい、感想をいただきたいものです。

 

  

 ではまとめといくとして、著者の思いはまっすぐで、「オカルト」を健全化することに死力を尽くしています。

 これからもそうでしょう。

 

 プロレス経験者の彼は、ガチンコで戦った「大槻教授」との「月の石」論争をしたことを興奮気味に話し、その真剣勝負をもう一度したいというのが文章からも感じられます。

 

 既に膨大な知識をつけて膨らんだ彼には、低レベル(子供だまし)のつくられた「オカルト番組」に対して、見破る必要もなく嘘とわかってしまうので、まるで相手にならず飽き足らない。

 そんないまこそ、真の「オカルト」を見てみたいと同時に、自身の知識を使って戦ってみたいと思っているんでしょう。

 

 半笑いで相手にされない分野から、きちんと作りこまれたエンターティナーが出てくるショーにしたい。

これが著者の全てなのです。

 

 熱いですね。これが叶う日がやってくるのでしょうか。

 

 私たちが積極的に知識をつけることによって、子供だましの番組は見る価値なしと判断され、テレビ局も安易なものはできないと消えていくことになる。

 

 それが叶った時、私も心から疑わない目で一度「オカルト番組」をぜひ見てみたいものです。

 

 現在のつくられた「オカルト」に対し、半笑いで相手しない私たちのままだと、いつか痛い目を見る日は必ず来ます。

 怪しいものは怪しいと言える、それこそが「健全」なのです。

 

 大御所霊(0)能力者や、スピリチュアル占い師のような「作られたオカルト」が、再び「オウム真理教」のような事件を生まないためにも、そもそも存在させない未来に希望を夢見て、この本を閉じます。

 

 

 最後に、今世間では『ハンドスピナー』と呼ばれるおもちゃが流行っていますよね。

 

私の予想なのですが、そろそろこのおもちゃに関する「オカルト」的な話も登場するかと思います。

 

 これを流行らしたのは、「戦争から目をそらすためのアメリカが仕込んだ陰謀」だとか、「これを回すことで宇宙と交信しているんだ」とか言われても全然信じない人が、

 「回すことで心をヒーリングする効果がある」、「集中力に期待ができる、受験にもいい」、ともっともらしいことをいわれればころっと信じてしまうんだから、まったく馬鹿にできないですよね!w

 

 安易に儲かるなら私も一度何かしかけてみようかしら~w

「オカルト」は流行ものの後追いでこそ、その力を発揮できますからね~。

 

 それでは、また「オカルト」を考えていくその時まで、さようなら!